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新潟地方裁判所 昭和43年(ワ)138号 判決

原告

永井平吉

ほか五名

被告

第一生命保険相互会社

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの連帯負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

(一)  被告は原告永井平吉・同スイに対しそれぞれ五〇万円、原告永井キヨエに対し八〇〇万円、原告永井克孝・同永井孝子・同永井正孝に対しそれぞれ五四〇万円ならびに右各金員に対する昭和四二年四月二二日から各支払いずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行宣言。

二、被告

主文同旨。

第二、請求原因

一、本件自動車事故の発生

被告会社の被用者である訴外清野清三は、昭和四二年四月二〇日午後七時五七分ころ、飲酒のうえ同人所有の普通貨物自動車(トヨペット・ライトバン以下本件自動車という。)を運転し、新潟市山木戸方面から同市中木戸方面に向け時速約四〇キロメートルで進行し、同市山木戸四四六番地先道路において、先行する訴外星山昭運転の普通乗用自動車を追越すため、時速五〇ないし六〇キロメートルに加速し右先行車の右側を進行したところ、対面進行してきた訴外永井政雄運転の自動二輪車と本件自動車前部とが激突し、政雄は路上に跳ねとばされ、翌二一日午前七時五三分新潟市西堀通七番町一、五六三番地長谷川病院で死亡した。

二、清野の過失

自動車運転者としては、前方左右の交通状況を注視し、車両や通行人の有無を確めて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、清野はこれを怠り、進路に障害物がないものと軽信し、漫然本件自動車を前記速度で先行車の右側から追越した過失により本件事故を起した。

三、被告会社の運行供用者責任

(一)  清野は、昭和四一年八月被告会社に雇われ、被告会社新潟支社豊栄支部所属のいわゆる外務員として保険加入の勧誘業務に従事していた。

(二)  清野は、自己の給料が歩合制(基本給は一ケ月金六、〇〇〇円)であること、保険契約加入の勧誘につき同業者間で競争が熾烈なことからその業務成績をあげるために、昭和四二年二月ころ本件自動車を購入し、常時これを運転して被告会社の業務のために使用するとともに、時折被告会社の職員であり自己の上司である訴外谷沢トネエ(被告会社新潟支社豊栄支部葛塚事務所長兼外務員)および同渋谷キシエ(同支部大口事務所長兼外務員)の依頼により、同人らを本件自動車に同乗させて、同人らの保険契約勧誘業務に便益を与えていた。

そして、被告会社は、清野の右保険契約勧誘業務のために自動車を使用することを間接に強制していた。すなわち、被告会社は、清野ら外勤職員に対し、ノルマを課し給料を歩合制にして直接間接に被告会社の業務成績をあげることを強制し、これに応じて外勤職員がその行動を迅速化し行動範囲を拡大するために自動車など機動力を使用せざるをえなくしていた。

(三)  そして、清野の属する被告会社豊栄支部長宮迫タキヨは、清野が被告会社の業務執行のために本件自動車を使用していたことを熟知しながらこれを認容していたばかりでなく、清野の直属の上司たる前記谷沢らは、さらに進んで清野に対し自分が担当する被告会社の業務執行のために本件自動車を使用することを求め、本件自動車に同乗して被告会社の保険契約勧誘業務に従事していたから、被告会社は本件自動車につき、運行支配を有していた。

(四)  清野は、昭和四二年二月以降継続して被告会社の業務の執行のため本件自動車を使用していたが、右自動車の使用によつて、その業務成績を向上し、被告会社の保険契約高の増加をもたらしていたが、右増加により利益をうけるのは被告会社であるから、被告会社は運行利益を有していた。以上の事実から、被告会社は、本件自動車の自動車損害賠償法上のいわゆる運行供用者として、右自動車により惹起された本件事故の結果につき責任がある。

四、被告会社の使用者責任

(一)  清野は、昭和四二年四月二〇日、被告会社所定の勤務時間中(勤務時間は定刻の定めはなく就業規則上四週間を平均して一週間四八時間である)である午後四時三〇分ころ、被告会社の保険契約勧誘業務の打合せを兼ねたレクリエーションの観桜のため、本件自動車に谷沢および渋谷を同乗させて、新潟市鳥屋野潟湖畔の「湖水亭」に赴き、同所で飲食したうえその帰途前記自動車事故を起した。

したがつて、本件事故は、被告会社の業務の執行につきなされたものであるから、被告会社は、本件事故によつて原告らに生じた損害を賠償する義務がある。

(二)  すなわち、本件事故発生当時、外形的、客観的に、清野は被告会社の業務を執行していたものである。

(1) 清野は昭和四一年八月被告会社の社員となり、爾来被告会社の保険契約加入の勧誘業務に従事していた。

(2) 清野は昭和四二年二月に本件自動車を購入して以来、右自動車を被告会社の保険契約加入の勧誘業務のために使用していた。

(3) 本件事故当時右自動車に同乗していた谷沢トネエおよび渋谷キシエは、前記三、(二)のとおり、いずれも清野の上司であり、本件事故発生前において、しばしば被告会社の業務の執行のために、清野の右自動車に同乗させてもらつて被告会社の業務のために従事していたもので、本件事故当時外形的には右状況と全く同様の状況にあつた。

(4) 本件事故当日、清野ら三名が右自動車に乗つて鳥屋野湖畔に向けて出発したのは午後四時ころであり、その時刻は保険会社の外勤職員がその業務に従事しているのが普通の時刻であり、現に谷沢はその少し前まではその業務に従事していた。そして右三名は引続き行動をともにし、帰宅途中の午後七時五七分ころ本件事故が発生したものであるが、右事故発生の時刻も被勧誘者の在宅する時間をねらつてその家庭を訪問するのを通常とする外勤職員の業務の性質上、その業務に従事していた時間としても決して不自然ではない。

右各事情を綜合すれば、本件事故発生当時、外形的、客観的には清野が被告会社の事業を執行していたものというべきである。

五、損害

本件事故により、永井政雄および原告らは、つぎのとおりの損害をうけた。

(一)  政雄の損害

(1) 逸失利益

(Ⅰ) 政雄は、満五八才で死亡したが、少なくとも今後一五年間は存命しえたはずである。

(Ⅱ) 政雄は、本件事故当時、株式会社山木戸屋商店の代表取締役であつたが、右会社は、実質上は政雄の個人経営のいわゆる同族会社であるから、政雄の稼働期間は、死亡に至るまでの今後一五年間である。

(Ⅲ) 政雄は、事故当時、右会社から毎月金二〇万円の報酬および毎年六月に右金員の〇・五月分、一二月に右金員の一・二月分の各賞与をえていた。また、政雄の一年間の生活費は多額に見積つても金四八万円である。

したがつて、純益は、年間にして二二六万円となり、一五年間で合計金三、三九〇万円となる。

(Ⅳ) 右金員に対し、年五分の割合による中間利息をホフマン式計算で控除すれば、金二、四八一万六、六八七円となる。

(2) 慰謝料

政雄は、これまで両親および妻子である原告らと円満な家庭生活を営み、両親である平吉・スイに孝養を尽し、また東大医学部助教授の職にある長男克孝の今後の活躍を期待し、さらに、長女孝子・二男正孝がそれぞれ良き配偶者をえて家庭をもつことを楽しみにしていたものであるが、本件事故により右希望等を一瞬にして奪われ、また年老いた両親を残して死亡したのであるから、政雄のうけた精神的苦痛は筆舌に尽しがたいものがあり、同人に対する慰謝料は金三〇〇万円をもつて相当とする。

(二)  原告平吉・スイの損害

平吉は、政雄の父、スイは母であり、これまで政雄夫婦らと同居し、円満な家庭生活を営んできたが、一家の精神的、経済的な支柱である政雄に先立たれて老後の平穏な生活を根底から覆えされ、甚大な精神的打撃をうけたので、同人らに対する慰謝料はそれぞれ金一〇〇万円をもつて相当とする。

(三)  原告キヨエの損害

キヨエは、政雄の妻であり、政雄と結婚して以来、同人と協力して子供らの教育に当るとともに、家業である食料品店の経営について政雄の手助けをしてきたが、本件事故により最愛の夫であり、かつ一家の支柱である政雄を失つたため、政雄の経営する前記山木戸屋商店は倒産し、経済的に困窮に陥つたのみならず、今後は一人で年老いた政雄の両親の面倒および長女孝子・二男正孝の結婚の準備等一切をしなければならず途方にくれている。以上のようなキヨエの精神的苦痛は甚大であるから、同人に対する慰謝料は金二〇〇万円を相当とする。

(四)  原告克孝・孝子・正孝の損害

克孝は政雄の長男・孝子は長女・正孝は二男であり、いずれもこれまで政雄を父とし、良き相談相手として敬愛してきたが今後は政雄のこれまでの労苦に報ゆるべく、孝養を尽したいと考えていたものであるが、本件事故により、政雄を悲惨な形で失い、悲嘆にくれている。よつて、右原告らの精神的苦痛に対する慰謝料は、それぞれ金一五〇万円を相当とする。

六、前記四、(一)の政雄の損害は合計金二、七八一万六、六八七円であるが、政雄の妻キヨエ・子の克孝・孝子・正孝は各自の相続分にしたがい、キヨエは右金員の三分の一である金九二七万二、二二九円、克孝・孝子・正孝は、それぞれ九分の二である金六一八万一、四八六円の各損害賠償請求権を相続した。

七、原告らは、清野から昭和四二年五月一五日に金二五〇万円、昭和四三年一一月三〇日に金一〇〇万円の弁済を受けたほか、昭和四二年六月二四日に本件事故の自動車損害賠償責任保険として、千代田火災海上保険株式会社から金一五四万二、六六一円の支払を受けた。

八、よつて、原告らは、被告会社に対し、前記五、六の各債権額から、前記七記載の金員をそれぞれ控除した残額のうち、つぎの表のとおりの金員および、右各金員に対する弁済期後の昭和四二年四月二二日から各支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

〈省略〉

第三、答弁

一、請求原因一、二項の事実は認める。同三、四項中被告に運行供用者責任および使用者責任があるとの原告の主張は争う、なお、三項(一)の事実は清野の入社の時期を除いて認める。同人の入社は昭和四一年九月一日である。三項(二)の事実中清野の給料が歩合制(ただし、基本給月額三、二四〇円であつた)であつたこと、谷沢・渋谷の肩書が原告主張のとおりであることは認めるが、歩合給の額を含めてその余の事実は争う。五、六項の事実は知らない。七項の事実は認める。

二、清野は、農業を主なる職業としており、本件自動車はライトバンで主に農作業に使用していたものである。

また、本件事故は、清野が支部長には何の相談もなく、昭和四二年四月一九日に渋谷・近藤キイと相談して花見の計画をたて、翌二〇日自己の本業である農作業をすませ午後四時三〇分頃渋谷・谷沢を同乗させて花見のため新潟市鳥屋野湖畔の「湖水亭」に出かけたもので、被告会社の業務とは関係ない。

第四、証拠関係〔略〕

理由

一、請求原因一、二項の事実は当事者間に争がない。そこで、被告が自賠法三条の運行供用者または民法七一五条の使用者として原告らに対し賠償責任を負うべきものか否かについて判断する。

二、被用者が自己所有の自動車を運転して交通事故を起したときであつても、使用者に自賠法三条による運行供用者としての賠償責任を肯定すべき場合もあるが、本件事故については被告に右の賠償責任を負わせるべき事例に該らないと解する。即ち

(一)  〔証拠略〕を綜合すると、

(1)  清野は、昭和四一年二月ころ被告会社に試採用、同年九月一日に本採用され、被告会社新潟支社豊栄支部に所属する外務員として保険契約加入の勧誘に従事していたが、その勤務時間については就業規則上四週を平均し一週間四八時間以内とし、勤務日に所属支部に出勤して出勤簿に捺印する建前になつていたけれども、実際は豊栄支部において一週一回全員が集つて開く打合会の時に出席する以外は全く自由であつた。

当時清野は妻と二人で、繁忙時には母の手伝を得て、田約一町七反と畑約二反を耕作し農業を主たる生活手段としていたもので、保険外交は農閑期や農作業の合間をみて行ない、ほかに他より依頼を受ければ不動産売買の斡旋や自動車のセールスなども随時しており、右保険外交も縁故先を勧誘に訪問する程度で業務成績を上げるため諸処を積極的に立ち廻わつたこともなく、従つて保険外交による収入は年間二〇万円程度に過ぎず副業の域を出なかつた。

また清野は保険外交を始める以前から農業その他日常の生活に使用するため自動車(ライトバン)を所有しており、本件自動車は昭和四二年二月に以前のライトバンを新車に入れ換えたもので、特に保険外交を積極的に行なうため購入したものではない。

(2)  そして、清野は保険外交に廻るとき自己所有車を使用するのが常であつたけれども、それは同人がたまたま自動車を所有していたから便宜的にそうしたまでのことで、被告会社が清野に対し担当業務遂行のため同人所有車を持込使用することを明示には勿論のこと黙示的にも強制しあるいは勧奨したからではなく、また清野としても被告会社との関係において自己所有車を副業的な保険外交のため使用しなければならないような状況におかれていたわけではなかつた。

以上の事実を認めることができ、この認定を動かすに足りる証拠はなく、右事実によれば、被告会社と清野との関係は清野の勤務状況および保険外交が同人の日常生活に占める役割からみて通常の使用者対被用者ほど従属的拘束的な対人支配関係はなかつたというべきであり、清野が本件自動車を被告会社の業務に使用するか否かは全く同人の任意に決するところで、被告会社は右自動車につき直接運行支配を有しなかつたことはもとより、清野に対する人的支配を通じてでも右自動車の運行につき支配を有していたとは解し難い。

(二)  つぎに、本件事故当時における本件自動車の運行については、〔証拠略〕によれば、

本件事故当時、清野が同乗させていた谷沢トネエは被告会社新潟支社豊栄支部葛塚事務所長であり、渋谷キシエは同支部大口事務所長で、いずれも清野同様保険外交業務を担当していた。

昭和四二年四月一六日から翌一七日にわたつた同支部旅行会の帰途車中、谷沢・渋谷・近藤キイ間で近日中に清野の自動車に乗せてもらつて花見に行こうではないかとの話が出、本件事故の前日渋谷より清野にその旨の依頼があり清野はこれを承諾し、翌二〇日午後四時ころ出発することになつた。

本件事故当日清野は農作業をすませ、午後三時四〇分ころ、自宅から本件自動車を運転して出発し、渋谷・谷沢宅を順次立寄つて両名を同乗させ、途中花見先を加治川・鳥屋野潟のいずれにするかと話合つた結果、結局選択をゆだねられた清野の判断で鳥屋野潟所在の「湖水亭」に赴き、同所で飲食した。本件事故はその帰途発生したのである。

以上の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はなく、右事実によれば本件自動車の運行は被告会社の業務には全く関係のない私的なものであつたことが明らかである。

(三)  してみると被告会社は(一)に述べたように本件自動車の運行につき一般的な支配を有せず、また(二)に述べたように本件事故時における具体的な運行についても支配を有していなかつたのであるから自賠法三条の運行供用者に該当しないことになる。

三、つぎに、被告会社の使用者責任について判断すると、清野の本件事故時における本件自動車の運行が被告会社の業務とは全く関係のない私的なものであつたことは第二項の(二)において認定のとおりであるところ、原告らは右運行もいわゆる外観理論によれば被告会社の業務執行にあたると主張するようであるが、然し第二項の(一)に認定の事実よりすれば、清野の日常における右自動車運行をもつて一般的に被告会社の業務執行とみることはできないから、たとい外観理論によるとしても本件事故時における右自動車の運行をもつて外形的に被告会社の業務執行にあたるということはできない。

四、してみれば、原告らの本訴請求は、その余の主張事実について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 正木宏 井野場秀臣 戸田初雄)

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